感想ストレージ

なんのへんてつもない個人の感想です。

映画「水曜日が消えた」 感想ログ

(2022.7頃にnoteであげたものを引っ越しさせました)

 

2020年6月19日に封切りされた「水曜日が消えた」。上映期間中、おそらく5回ほど?みて、咀嚼しまくった状況で思うことを書き留めておこうかと思います。ネタバレふんだんにするので、気になる方はページをお戻りください!

 

中村倫也と私

そもそも、「美食探偵 明智五郎」と「不協和音」での演技や、自粛期間中にアップされていたYouTube動画「中村さん家の自宅から」やツイッターにあがる謎の漫画で虜になりました。在宅ワークという環境も相まって、huluで過去作品を垂れ流して仕事したり。

おかげでコロナ禍の不自由な毎日も、楽しく過ごさせてもらえたなぁ。(もともと在宅ワークは苦ではない性格なのもあるけど)

 

消えた日常

2020年のコロナ禍で、それまでの私たちが過ごしていた日常はすっかり失われていた。「水曜日が消えた」が公開されていた6月は、その失われた日常の真っ最中だったとも言える。(現に感染拡大の影響で公開が延期になっていた作品だった)

そして主人公の「火曜日」もまた、それまでの日常を失っていた。

幼少期の事故をきっかけに曜日ごとに切り替わる7つの人格を所有する青年。その中の一人である“水曜日”が消え、今までは火曜日にしか目覚めなかった“僕”が水曜日の時間も手にして、新たな出会いや経験をするお話。

解離性人格障害、多重人格。
漢字にするとシリアスさが増しがちなテーマをVFXを活用した映像美と、音楽、そして役者陣の演技で、ファンシーだけどミステリアスに落とし込まれていたのがすごく新鮮だった。伏線もきっちり回収されるし、エンディングもメッセージも「美しい」作品だった。

 

“火曜日”を見届けたい

私はこの作品を、2020年6月から8月上旬まで2ヶ月の間に計5回ほど劇場で見た。
友人や家族にも引かれた。自分でも流石にやりすぎかなぁと思うくらい見た。
こんなに同じ映画を短期間で繰り返し見るのも初めてだった。
(好きなバンドのライブだって最大でも1つのツアーで3回観る程度だったのに)

なんでこんなにリピートしたか。

1つは、「販促が上手い」。2つ目の理由としては、見事な伏線が張り巡らされた作品としての巧みさ。


そしてなにより幼なじみ一ノ瀬のセリフにもあったように

「火曜日たちのそばにいて理解したかったから」。

この気持ちで観ている人はきっと私だけではないはず。

「僕たちって気持ち悪い?」
「僕たちってホラー? サイコスリラーか…」
火曜日はこう問うていたけど、彼らの過ごす日常を少しでも理解して、そして分かち合うためにスクリーン越しに見守りたかったんだろうな、と。

 

火曜日たちの名前

最後までぼやかされていた彼らの名前は「斎藤数馬」だった。
物語終盤に手術の同意書のサインだけで確認できるその名前に、深読みしすぎかと思うけど、ハッとさせられた。

個人的な解釈として、脳の海馬=記憶を司る部分で人格形成の主たる部分(、、だったかと思う)、それが多数ある、、というのが由縁なのかなと。

それと同時に名付けで使う「馬」には「仲間」という意味もあるみたいで、物語内のご両親は「多くの仲間に恵まれますように」って意味でつけたのかな。そして自分の中にいるいろいろな自分とも最後は仲間になる=仲間は自分=仲間はそばにいる、と考えると、その名前が最後に明らかになるのは、なかなか素敵な着地だなとも思った。

 

2020年春からの日常

映画を見終わり、久しぶりに来た渋谷でお昼を食べようと公園通りを歩いていたとき、得体の知れない違和感を抱いた。

去年の今頃とは確実に違う人混み。
真新しいPARCO。 
低空飛行をする航空機。
さらに増えたドラッグストア。
無くなったコンビニ。

コロナ禍以降初めて来た渋谷は、学生の頃から慣れ親しんだ場所とは思えないほど新鮮だった。

水曜日を初めて生きた火曜日も、こんな感じだったのかもな。

 

「幸せになれよ…!」

劇中、幼なじみの一ノ瀬が度々火曜日の髪をわしゃわしゃっとしながら「幸せになれよ…!」と呟く場面が好きだ。

星ガ丘ワンダーランド
双葉荘の友人
でも感じたけど、中村さんが演じると「この人のドラマの後の人生、幸せであれ…!!」と思わせる力がすごい。
見ている人間の心に母性を灯すスイッチを持っている。そしてラストの表情を見るに、今回の火曜日くんは間違いなくさらに幸せに生きられているはず。きっと。

 

私たちは思ったより脆い日常を、思ったよりも強靭に生きているのかもしれない。